2019.02.12 あなたへの手紙
「子供の虐待事件に思う ー死ぬ時に迎えに来てくれる人はー」
突然ですが、
もしあなたが
今死を迎える時が来ているとしたら、
もしあなたが
今死を迎える時が来ているとしたら、
そして、あの世へ行くにあたって、
あの世の誰かが
迎えにきてくれるとしたら、
誰に迎えに来てもらいたいですか?
誰が迎えに来てくれると思いますか?
・・・
私が今死を迎えるとしたら、
私は死んだ母に
迎えに来て欲しいです。
そうしたら、私は、
何の心配もなかった
あの小さい頃の気持ちに戻って、
「お母ちゃん」と言って
「お母ちゃん」と言って
その胸に甘えていけると思います。
でも、
そういう人が周りにいなかったら・・・・
あの世にもこの世にもいなかったら・・・
お母さんもお父さんも、
自分に辛く当たる。
誰にも甘えられずに、
誰にも絶対的な安心を与えてもらえず、
絶対に自分を愛してくれる存在、
それを見つけられず
絶望の中で死んでいく・・・
そんなことが
この世の中にはたくさんあります。
小4女児の虐待死事件は
本当に辛い事件です。
少女の気持ちを考えると
涙を抑えることはできません。
涙を抑えることはできません。
(少女の両親は生きていますが)
少女は誰に、何に
救いを求めたらよかったのか。
少女を含め、そういう境遇にある人たち、
そしてそれを悲しむ私たちを含む周りの人たちは、
何に救いを求めたらいいのか・・・
私はその救いを与えてくれる存在として、
やはり
「神」とか
「仏」とかいう存在の必要性を
感ぜずにはいられません。
私の家は仏教徒ですが、
なぜか小さい頃から
「ちゃあんと神様が見てるから」
と言われて育ちました。
それは
貧しさの中で私たちを育てていた
親の言い訳かもしれません。
親の言い訳かもしれません。
でも
私たち子供は言われた言葉
「ちゃあんと神様が見ている」
を信じていました。
を信じていました。
絶対的な存在があると信じて育ちました。
親族のどんな悲しい死も
「〇〇は、
ちゃあんとあの世で幸せに暮らさせていただいている」
そう思うと悲しみも薄れるように思いました。
少女には
そういう言葉と巡り会える機会があったのだろうか、
それはわかりません。
でもあってほしい。
そして、
たとえ
少女にそういう機会が
なかったとしても、
私たちは
私たちの想念の中で
それを作り出して、
光る柔らかくあたたかいものによって
少女は神(仏)のところに運ばれていった
ーそう信じたいです。
私たちがそう思いそう信じることによって
悲しい現実も変わる・・・
それが私の信仰です。
しかし私たちがそう願うことと、
現実にそういうことが2度と起きないように
手立てを打つということはまた別物で、
こんな悲しい事件を2度と起こさせてはいけない、と
強く思うのです。