2020.01.16 あなたへの手紙
自分を一番大事に
今日は人間ドックに行ってきました。
結果は、思いがけない疾患があったり、
予想通りに、肥満を指摘されたりですが(^^;
思いがけなく死んだ母を思い出し
あれこれと考えてしまいました。
人間ドックでは、
はじめに、
肉親の既往歴・死因を聞かれました。
その中で母の既往歴・死因について聞かれ、
「胆嚢がんです」と答えました。
そして
それが引っかかって、
あとあと考えにふけってしまったのです。
母は一応胆嚢がんの疑いで入院し、
そしてその治療で、あっという間に
亡くなってしまいました。
がん細胞は出てきていませんでした。
ただ腹水があり、
胆嚢の中に何か大きい丸いものがありました。
それで、医者がガンだろうと診断し、
抗がん剤を投与する前段階として、
腹水を止めるために腹膜に炎症を起こさせました。
その炎症で、母は高熱になり
お腹を痛がりながら亡くなってしまいました。
今思い出しても残念で悔しい思いがわきあがります。
私も胆石になりました。
そして胆石の発作が怖いので
胆嚢ごと摘出してしまいました。
石は3センチぐらいの大きい石と小さな石が数個。
でも症状はなかったのです。
人間ドックで見つかったのです。
母のも、あれは大きな胆石だったのでは?
症状もないのに、
腹水だけの対応をしていれば
よかったのに
という思い、
でも家族全員で、その治療に同意したんだよね
という悲しさ、残念さ、
忸怩たる思いがあります。
そんなこんな思い出から
検査が終わって、結果を聞くまでの
2時間ほどを
お昼を食べて
ゆっくりしながら、
母の人生について
ついつい考えてしまいました。
そして気がついたのが、
「母は自分を大切にしていなかったよね。
そして、私たちも母を大切にしてあげなかった。
そしてそして、私たちも、自分を大切にしてこなかった」
ということです。
母は、いつも
「うち(私)なんかのために、何もせんでええよ。
うちのためにお金使わんでええよ」
と私たち子供に言っていました。
この
「うちなんか」
と自分を卑下する言葉、
これは決して謙遜ではなく、
母の本当の気持ちだったと思うのです。
母は夫に見捨てられた妻でした。
でも、ずっと夫の帰りを待っていました。
小さい頃は、そんな母が理解できませんでした。
なんどもなんども夫に裏切られ
それでも許し続けた母。
もちろん、父に対して愛情があったから
というのも理由の一つかもしれません。
でも、自分は大切にされる値打ちがない、
そう思っていたから、我慢できた、
しなくていい我慢をしてきた、
のでは、と今は思います。
母は被差別部落の家系の出でした。
対して父は地方の素封家の出でした。
母を見染めた父は
周囲の大反対を押し切って
母と結婚しました。
新潟の父の実家に嫁いで、
嫁いびりにあい、長女を亡くし、
母は次女である姉を連れて、
大阪の実家に逃げ帰りました。
そんな母を
父はまた追いかけてきました。
そんな若い日の熱い思い出が
母を辛抱強くさせたのかもしれません
目を曇らせたのかもしれません。
でも、その後の仕打ちはやはり
ひどいと思うのです。
父への愛だけではなく、
「こんな私を追いかけてきてくれた」
という思いの中の
「こんな私」という思い、
母は自分のことをそんな仕打ちをされても仕方のない
値打ちのない人間だと思ってきたのです。
そして「名家」の家柄を手放すまいと
必死で頑張ったのです。
それは「差別」が色濃く残っていた時代に育ったからかもしれません。
私たち子供には
「私なんか」という思いは
継承されませんでした。
でも、
「自分を一番大切にしないで
後回しにする」
自分を大事にしない生き方は
継承してしまいました。
そして、
ひどい仕打ちをされても
「自分はこんな仕打ちをされるような
人間ではない!」
と憤ったりしないで、
「何とか、関係を良くしなきゃ」
と、余計に頑張ってしまう生き方を
してきたと思います。
ようやく、この頃です。
自分のことを、一番に、大切に
できるようになったのは。
ところで、
あなたは自分のことを
一番大事にしてますか?
自分のことを
大事にできる1番の人間は自分です。
自分のことを一番大事にしてあげてください。